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時代祭の見所案内
1022日 京都の三大祭、明治維新からさかのぼる形で行列が続く。
御所(12:00発)→烏丸御池→河原町御池→平安神宮(14:40着)
祭の起源 平安遷都1100年にあたる明治28年に桓武天皇を祭神とする「平安神宮」が創建され、その記念祭りとして、時代行列が提案されました。
行列の歴史 当初は少なかった行列も時代と共に増え、後に女人行列と幕末志士列が加えられ現在のように盛大な18列、約2000人の行列となりました。
(1)維新勤王隊列  江戸時代後期 新の際、京都府北桑田郡山国の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模した。鼓笛隊が先頭を行く。
(2)幕末志士列  江戸時代後期 明治維新の立て役者となった志士計14人が「七卿落」列をはさんで次々と登場する。
(3)徳川城使上洛列  江戸時代 徳川幕府は大礼や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くした。城使には親藩または譜代の諸候が選ばれた。「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の面影をしのばせる。
(4)江戸時代婦人列  江戸時代 和宮(孝明天皇の皇妹)をはじめ 蓮月(江戸時代の女流歌人) 吉野太夫、出雲阿国他が続く。
(5)豊公参朝列  安土桃山時代 豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元年)5月の秀頼初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられている。列はそれを表したもの。
(6)織田公上洛列  永禄11年(1568)9月 天下統一のため織田信長が兵をひきいて上洛したときの様子を表した。信長のほか羽柴秀吉や柴田勝家などが登場する。
(7)楠公上洛列  吉野時代 1331年(元弘一)後醍醐天皇の上洛を導いた楠木正成一族の行列を表す。千早城(大阪府)にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ね、和泉の守護ともなった。
(8)中世婦人列  白拍子時代 大原女(商品を頭に乗せ京の町へ売りに出る風習)、桂女(髪を白い布で包み、着物を短くした装束で鮎や飴を京の町で売り歩いた)白拍子時代の淀君、静御前が続きます。
(9)城南流鏑馬列  鎌倉時代 後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿10余国の武士を召集して行った。列は狩り装束の射手を中心とした5組を表している。
(10)藤原公卿参朝列  藤原時代 平安時代中期以降、藤原氏の最盛期の文武両様の姿を現したもの。列は夏の様式。
(11)平安時代婦人列  平安時代 巴御前(木曾義仲の寵愛を受け、義仲没後尼となった)、常磐御前(源頼朝の婦人)、清少納言、紫式部、紀貫之の娘、小野小町、和気広虫(和気清麻呂公の娘)等が列に続きます。
(12)延暦武官行進列  延暦時代 この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂。平安初期の武将で征夷大将軍となり、蝦夷征討に大功があった。また、京都の清水寺を建立した。
(13)暦文官参朝列  延暦時代 公卿諸臣が朝廷に参上する状況を模したもの。
(14)神饌講社列  時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達。
(15)前 列  御神幸列の前を行くので前列といわれ、雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な行列で多数の狩装束のお供が従う。
(16)神幸列  御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輦(ごほうれん)を中心とする神幸の本列。先の御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇で宮司以下神職が前後につき従う。
(17)白川女献花列  白川女(しらかわめ)は北白川(左京区)の女性で、比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩く。平安時代から続いてきた。
(18)弓箭組列  丹波には源頼政に従って弓矢の術に秀でた人達が多く、その子孫の人々もまた平素から弓箭組を組織していた。桓武天皇平安遷都の際、その御列の警護をし、維新では山国隊ととも活躍した。
桂小五郎 萩藩士、後の木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通と共に維新三傑と称される。
西郷吉之助 薩摩藩士。第一次長州征伐では幕府軍の主力となるが、坂本龍馬の説得で薩長同盟を結んだ。西南の役で自刃死。
坂本龍馬 幕末の志士(土佐藩士)。明治維新 一番の立て役者。ざんばら髪を後ろで結び黒の紋付きネズミ色の袴を漬けた姿。慶応3年京都で暗殺された。享年33歳。
中岡慎太郎 土佐藩士。竜馬と並んで維新に奔走したが、京都で共に暗殺された。享年30歳
高杉普作 長州藩士。農民、町民の軍隊・奇兵隊を創設するなどしたが、「維新の夜明け」を見ることなく病死した。
梅田 雲浜 志士。元・若狭小浜藩士。藩政を批判し、武士の身分をはく奪される。尊王攘夷を唱え、ロシア艦襲撃を企てた。安政の大獄で江戸の獄舎で病死。
橋本 左内 越前福井藩の志士。緒方洪庵らに蘭学・医学を学び、藩主松平春岳に認められて藩政革新に当る。安政の獄に座し斬罪。
吉田 松陰 長州藩士。江戸に出て佐久間象山に洋学を学び萩の松下村塾で高杉晋作、桂小五郎ら多くの維新の志士を教育した。安政の大獄に座し、江戸で刑死。
織田 信長 戦国時代を代表する武将。天下統一の基礎を築いた。本能寺の変で明智光秀の謀反にあい心半ばにして自刃した。鉄砲を使用した戦をする為、武具の各所に鉄板を使用している。
七卿落 文久3年(1863)8月、討幕計画にやぶれた三條実美ら尊攘派の公家7名が長州へ落ちのびた事件。ミノをかぶった7人の公家を、よろい姿の久坂玄瑞ら3人の武士が護衛している。
久坂 玄瑞 長州藩士。吉田松陰の妹婿。兵学を松陰に、洋学を藩校に学ぶ。尊王攘夷を唱え、1864年(元治1)兵を率いて京都に入り蛤御門(はまぐりごもん)の変で会津・薩摩等の兵と戦い負傷、自殺。
三條 実美 公卿。明治維新の功臣。実万(さねつむ)の子。尊王攘夷運動の先頭に立ち、維新後太政大臣。内閣制発足後は内大臣。
大田垣蓮月 江戸末期の女流歌人。陶器を製し自詠の歌をつけて世に賞美され、京都・東山で高潔な生涯を送った。歌風は優美繊細。家集「海人の刈藻」。
玉瀾 本名は町。江戸時代中期、独自の文人画を確立した池大雅(1723-76)の妻。浮世離れした大雅を包み込むように支えた。大和郡山藩の家老で風流人文人として有名だった柳沢淇園や、夫の大雅に画業を学び、画人としても知られた。
吉野太夫 京の遊里・六条三筋町(島原の前身)の太夫。書画や和歌などに優れ、「寛永の三名妓」の1人とうたわれた。信仰心が厚く、常照寺に朱塗りの山門を寄進した。芸奴の間で、男装風の着物や髷が流行し、腕を懐に入れ 帯を下げた着こなし。
出雲阿国 阿国歌舞伎の創始者。歌舞伎芝居の祖。もと出雲大社の巫女(みこ)といい、京都で念仏踊を興行して大変な人気を呼んだ。没年は1607年(慶長12)以後。
大原女 洛北大原の婦人は、薪・炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る風習があった。
淀君 豊臣秀吉の側室。名は茶茶。浅井長政の長女。母は信長の妹お市の方。山城の淀城に住み、秀頼を生む。大坂夏の陣(1615)で落城の際、城中で自刃。上流階級の武家の女性の外出着(現在では婚礼衣装に用いられている)
桂女 京都の桂の里に住み、独特の風俗を伝えていた一種の巫女(みこ)。正月・婚礼・出産・出陣など諸家の祝い事に訪れ、花嫁に付き添ったり祝言の祓(はらえ)をした。平安時代、天皇に桂川の鮎を献じたのに始まり。
静御前 悲運の名将源義経の愛妾。鶴岡八幡宮で源頼朝、北条政子らを前にして義経恋慕の舞を舞った。能の「吉野静」「二人静」「船弁慶」の題材となり歌舞伎などにも多く使われている。(烏帽子をかぶり鼓を打つ遊女白拍子の定番)
巴御前 木曾の豪族中原兼遠の娘。木曽義仲に愛され、女性で有りながら女武者として活躍。夫の戦死後は和田義盛に再嫁し、その敗死後、尼となって越中に赴いたという。(装飾が胴に施された、鎧が美しく女性的。頭を飾る長刀を持っている)
横笛 平家物語に見える女性。建礼門院の雑仕で、滝口の斎藤時頼に愛されたが、時頼が出家すると、あとを追い尼になった。
常磐御前 平安末期の女性。もと近衛天皇の皇后九条院の雑仕。源義朝に嫁し、今若・乙若・牛若を生む。平治の乱に義朝敗死後、大和に隠れたが、六波羅に自訴、子供の命乞いのため平清盛になびき、のち藤原長成に再嫁した。
紫式部 藤原為時の娘。名前は源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」からとったという説が有力。三十六歌仙の一。著作は「源氏物語」のほか、「紫式部日記」「紫式部集」など。内掛けの原型となった平安貴婦人の略衣装(こうちぎ)
坂上田村麻呂 初代の征夷大将軍、平安京造営に深く関わり 清水寺の建立で知られる。きらびやかな甲冑、金造りの直刀、他の武具もそれぞれ鮮やかである。
清少納言 平安中期の女房。三十六歌仙の一。和漢の学に通じた才女で、紫式部と並び称せられ、一条天皇の皇后定子に仕えて寵遇を受けた。「枕草子」の作者。家集「清少納言集」。
小野小町 平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一。出羽郡司小野良真の女ともいう。歌は柔軟艶麗。文屋康秀・僧正遍昭らとの贈答歌があり、仁明・文徳朝頃の人と知られる。絶世の美人として七小町などの伝説がある。
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